~遠藤式子育ち理論研究所~遠藤さんの子育ち

遠藤式子育ち理論実践中の子育ち家族です👨‍👩‍👧

B1講座:物語と商品

□物語□

・うそうた、わらべうた、うそばなしは
子がお腹の中にいる時からできること。
・生まれる物語を見つけて選び語り返した物語を講座で語る。
 
・取り巻く物語

●母親が語る物語
【直系的物語】
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、
ひいじいちゃん、ひいばあちゃんなど先祖の物語
【傍系的物語】
親戚(おじさん、おばさん、いとこ)の物語
【地域的物語】
近所の神社の謂れなど
 
●父親が語る物語
【文化的物語】【社会的物語】【自然的物語】
→政治・経済・物理・数学・科学など父親の得意分野の学問的話。
子にどんな物語を持ってくるのか?を父親は意識的に行う。
 
・入れる物語
【物質に入れる物語】
【子が語る物語】
「将来こうなりたい」と子が語るのは
子が自分のなかに入れていく=信念になる物語
【父親が期待する物語】
【教訓的物語】
 
物質に入れる物語
「今の子は物が豊かで幸せ」
60代の人が子どもの頃に言われたこと
    ↓
「今の子は物が豊かでなんだかな」
    ↓
「今の子は物が豊かで可哀想
今の時代はここまできている。
    ↓
昔の子に比べて貧しくなっているもの
 
自然(土・水・木・大気・光・小動物・昆虫)が貧しくて可哀想
    
自然は自由(好き放題にできる、自然は自然に自然が片づけてくれる
=片づけることを強いられない)であるため
今は子の周りに自然が失われてきているため、
おもちゃ空間・机上空間は室内に自然を再現している
だから、おもちゃを元通りにする(片づける)ことは大人の仕事。
机上空間も扱い方や片づけ方も一つ一つ指示するが
最終的な片づけは親の仕事。
 
・子は「お金」を扱うことができない存在。
今の子は「商品」が豊か
  ↓
今の子は自分で扱うことができない物に囲まれて不自由。不幸せ。
→「今の子」を「私の子」は
」(物質+物語)が豊かで幸せ、と密かに思えるようにする。
                  
 
・商品には物語がない=傷があるということは、
作り方のどこかの過程で何らかの原因で
傷がつくということで物語が存在する。
だが、傷があるものは商品になり得ない。
物語がないものが高品質、日本の得意技。
 
※「密かに」がポイント。
育児とは生き方そのものであり、
育児について色々言う事は生き方を否定することにもなりかねない。
子育ち講座はモチベーションを下げないというところが魅力。

「物」(物質+物語)の揃え方
1.獲る(狩猟・採取時代) 
2.拾う(農耕時代)   
3.もらう(物々交換時代)~6歳まで
4.作る(家内制手工業、小規模生産)
~~~~~~~~~~(産業革命
5.買う(資本主義社会)
 
【1.獲る】
自然から取る。
【2.拾う、3.もらう】
自然、社会から拾う・もらう。
地域を歩く(散歩)をしてほしいというのは、
この機会(自分自身の手で物を手に入れる体験)を保証するため。
※最初から「買う」ことの体験しかしたことのない子は
「お金」が大事が沁みつきやすくなる。
※お下がり品について
経済的な理由を挙げて
「お金がなくて買ってあげられないから、これを着て」と
渡すのは子は傷つき「お下がりなんてイヤ!」というようになる。
お下がりも「物語」を語って渡すことによって、
全く違う反応になる。
 
・自然を感じることとは車で森に行って感じるものではなく、
子の日常の時間の流れ(二十四節気)の中にあるもの。
例:日々地域を歩く事によって、近所のいちじくの花が咲き
実が付き、次第に熟していく様子を目にして
持ち主に断って獲り、食べることで季節がすすむこと
毎日外を歩く事で風が次第に冷たくなること
空が高くなること・月を見ていると徐々に欠けていったり
満ちていったりするその変化を体感すること。
 

・6歳までに散歩で【獲る】【拾う】【もらう】したものを
裏口空間にストックしておき、
それ以降これを材料として自由に工作をする。
6歳以降外で、これを材料として色々なものを作るようになる。
そのための道具を揃えてあげること。
散歩で家に「持って帰って来た」ということで子は満足する。
それから家の中に入れるものは、親が判断して指示する。
→裏口空間にストックしておくものなのか、
洗って乾かしておもちゃ空間で使うのか、机上空間で材料とするか
例:どんぐりは固いからおもちゃ空間で使えるが、
松ぼっくりは加工しやすい(割れて汚れたりする)ので
机上空間の方がよい。
 
【4.作る】
幼稚園で通園カバンなど手作りにこだわる園は多い。
「お母さんが私のために作ってくれた」という物語を
大事にしているため。
 
【5.買う】
「買う」という行為が悪いのではなく、
「買う」という言葉を母親が使わないようにするだけ。
「買おうね」ではなく「もらって行こうね」と言う。
(子や父親など周りが言うのは問題なし)
例:買い物に行きましょう→買い物かごを持ち必要なものを選ぶ。
「一つだけ好きなお菓子選んでいいわよ」と選ばせる。
※レジに行くときに、お金を渡して「買う」ことを
子にやらせるのは愛情ゆえ
(お金の使い方、レジの通り方を教える)かもしれないが
これは母親の役割(母親は教える立場にない)ではない。
→これをすると子は「母親」よりも「お金」が大事と思ってしまう。
「お金さえよこせばそれでいいんだ!」となりやすい。

【レジを通る時】
①子からお菓子を受け取る
②レジを通ったあとで母親から子に渡す。
子はお菓子(物質)に
「お母さんからもらった」という物語が入って子の物になる。
→「お金」より「お母さん」が大事という形式が保たれる
                 ↓
子はお金の使い方やレジの通り方も目の前で見ている。
「買った」(もらったのではなく、お金が必要)
ということも認識する。
「買う」行為も目にしているので
バランスの良い物の見方ができるようになる。

子を取り巻くすべての「物」に物語が入ることで
「物」が豊かで幸せ
例:おばあちゃんが温泉旅行に行って買ってきたお人形。
→「買ってきたよ」ではなく
「温泉に入った後に、散歩してたらね声が聞こえたの。
『連れて帰って~』って言うから連れてきたのよ」などと
物語を入れて渡す。

・育児の弊害「禁止」をすること。
子の前から排除して、見えないようにするためにバランスが悪くなる。
例:チョコレートを禁止するのはNG。
 「禁止しないとは」=お母さんはおやつには
絶対に出してくれないが、
おじいちゃん・おばあちゃんからもらって
おやつに食べて美味しかったよ~と言った時に
「美味しかったね」とマネ返してくれる。
 
・第二子を出産した後に、新生児と赤ちゃん人形を抱えて帰宅し
上の子に「あなたはこの赤ちゃんを世話してね」と渡すと
赤ちゃん返りをしにくい。
「赤ちゃん返り」とは母子一体性を拒否される
(それまでお母さんと自分は一体であったのに、
赤ちゃんに取られる)こと。
赤ちゃん人形を与えることで、
赤ちゃんのお世話を母親とともにできるので
母子一体性は担保され圧倒的に赤ちゃん返りしにくくなる。

赤ちゃん人形によって、上の子は「親」になるということ。
2歳くらいの子が愚図って泣いているときに
「あなたの〇〇ちゃん(赤ちゃん人形)が泣いているよ」と言うと、
突然泣き止んでバーッと走り寄ってお世話に行ったりする。
→(テクニックなので多用しないこと(笑))

物を手にする過程が身に付いた子は、子は何か「欲しい」と思った時
この順番でどう手に入れてこようかと考える。
「獲る・拾う・もらう」で手に入るのか?作れるのか?
それが無理なら買うか。
子が欲しがるものは「買う」手段に至るまでに
解決することが多いので
あまりお金を欲しがらない子になる。
 
例:DSの使えるカセットを拾ってきたりするし、
その「拾う」ことは親によって保証されているため
どこに行っても非常に周りを
よく見ている子(小さなものによく気が付く・視野が広い)になる。
砂浜で貝殻を拾う、木の実を獲る、花を摘むなどして
色々なものをよく作る。
買ったものと同じようなものを結構作ってしまったりする。
 
・「借りる」ことにも抵抗がなく 例えばDSなども
まぁ借りるからいいよ~」となったりする。
「返す」という終わりがはっきりしているために
非常に集中してやり、持ち主よりも上手になっていたり・・・。
メディアも「禁止」されていないので、情報も普通に入ってくる。
日課の安定が大前提の上にメディアがあるため、
ダラダラTVを見ているということがない。
※子育て番組で問題として取り上げられるものの多くは
日課の安定」と「空間構成」で解決する。
 
【本講座のまとめ】
・物と商品は別物であり、子には「物」を揃える。
物語が入っている物質を与えて欲しい。

・商品を買う場合でも母親は言葉として
「もらっていこう」にして、そこに物語を入れて子に渡す。
→一番簡単な物語は一度買って母親の物としてから
「はい、あげるね」にする。
これは形式であるが、この形式が大事!

・子育ち理論は全て「形式がメッセージとして子に伝わる」と
考えている。
そのため、育児は「愛情」から入るのではなく
「形式」から入るものと言っている。
「マネ」という形式によって子は愛情を感じるものである。
よって、これは誰もができるものと言える。
 
※Fさんの講座録から引用しています。