~遠藤式子育ち理論研究所~遠藤さんの子育ち

遠藤式子育ち理論実践中の子育ち家族です👨‍👩‍👧

うみくんとサンタさん~大人への扉~

今日のできごとです。

うみくんと育成センターから帰宅すると
マンションのエントランスで
Yさんにお会いしました。

Yさんの胸に顔を埋めて
しっかりとしがみつくお孫ちゃん。
3歳ぐらいの女の子です。

「恥ずかしいお年頃ですねー」と
私がお声をかけると
「違うのよー、実はね・・、おばけがこわいの」
「夜になってお外にいるとおばけが来ちゃうから
おばけが来ても見えないように隠れてるのよねー」
と、Yさん、そういうとクスッと笑いました。

そんな母のやり取りを傍で聞いていたうみくん
Yさんがエレベーターから降りると
すぐさま
「おばけなんていないんだよー」
と、言いました。
「おばけはいないんだー」と母。
「そうだよ、いないんだよー。サンタさんと一緒でさー」
「こんな感じっていうイメージはあるんだよ」
「だからさー、おばけとかサンタさんっていうと
どんな姿をしているかはわかるんだよ」
「でもさ、この人だっていうのはない」
「でも、天のお父さまは空からね、空から見てて
この人だっていうのはある」
「あー、これはじぃちゃんと一緒な感じかなぁー」
と、母に語りました。


-おしまい-

昨日のクリスマスの朝
枕元のプレゼントを手にしたうみくんの様子から
サンタさんのファンタジーはハーフハーフかなぁー、と
思っていた母ですが
今日のうみくんの様子から
大人の扉を開けたのかも…と感じました。

もちろん、確信めいたものではなく
うみくんの中で現実との狭間を行きつ戻りつしながら
ファンタジーの世界を確立していくのでしょうけど。

天のお父さま(イエスさまのことです)や
他界した私の父のことは
宗教性のこととして捉えているのでは
と、思える節もあります。

以前、遠藤さんは
「たよりもりの」の№155で
Mさんのサンタさんのお悩み相談に
宗教性について触れてみえました。

「その子のファンタジー性、宗教性に寄り添い、
つまり、その子のファンタジー性を、
その子がサンタと表現するのかしないかも含め、
その子にすべてまかせて、一切教えないのです」
今のうみくんと重なるような気がしています。

うみくんの幼稚園はプロテスタント系の幼稚園でした。
クリスマスはイエスさまのお誕生日として
粛々と過ごすことが色濃い園で
クリスマスの捉え方も
商業性が華やかな過ごし方とは少し違っていました。

うみくんが産まれた時には
私の母とお義父さんが他界していましたから
物心ついた時から我が家の宗教性に
触れる機会が多くありました。

さらに私の父が療養から他界するまで
自宅で共に過ごし看取っているので
もしかしたら、「天にかえる」ということも
うみくんは肌で感じているのかもしれません。

そういえば、今月届いた「あのね」に
新刊「クリスマスがちかづくと」について
著者の斎藤倫さんのエッセイが
掲載されていました。

その内容が今の私の心にビンゴで!!
遠藤さんにこの本をお願いしようと思っています。