身体に沁みこむということ
今朝のできごとです。
朝の5時に目を覚ましたうみくんが
「もうさー、起きるわー」と
布団から出てリビングへと向かいました。
しばらくすると寝室の母のもとへ来て
「お母さん、EM-」とうみくんが言いました。
「あー、あとでやるわー」と
母が布団の中から答えると
「じゃぁ、自分でやるわー」と
うみくんは台所へと向かいました。
-おしまい-
うみくん、起床時のおトイレのあと
毎朝、EMを飲んでいます。
いつもは海人とぉちゃんの
お弁当を作っているときに起床するうみくん。
起床時のおトイレのあと台所で母が手渡すEMを
飲むのが日課なので
まだ布団の中にいた母に声をかけたようです。
今まで一度も自分でEMを作ったことはなかったので
「自分でやるわー」という思いがけないうみくんの言葉に
ビックリして布団から飛び起きちゃいました~(笑)
そういえば先日の子育ち講座の際、
「どうしたらそんなふうになるのですか?」
と、聞かれた事柄あったのですが
どうしたら・・・という言葉に
あれっ?どうしたらだっけ・・・?と
私自身もわからなかったのです。
今思えば多分、今日のEMのように
気づいたらやれてた、ということなのだと
そう、感じました。
遠藤さんの講座でのお話しの中に
「やらない」と断り続けた子でも9.5歳くらいになると
突然チャーハンを作ったりする、というエピソードがあるのですが
それに類似しているのではないかと思うのです。
ただ、淡々と日々の日課で繰り返していたことが
子の身体に沁みこんでいて
ある日、突然、自分でやる機会に出くわすと
やれちゃったりもする、
そういう事ではないのかとも思うのです。
我が家のエピソードで母が先に寝ちゃうときは
うみくんが夜のルーティンをすべて終えて
眠りにつく、というお話をした時に
「どうしたら、そうなふうにできるようになるのか?」
というお話しの流れだった訳ですが
この時も、ある日突然、だったように思うのです。
これが、遠藤さんが講座でお話しされる
イメージがあるかないかの違い。
指示によって意識の1/5くらいは
そちらに向く=イメージができる。
ということではないかとも感じています。
「できる、できない」ではなく
「やる、やらない」なんだなぁーと
やっぱり、日々の積み重ね日課なんだなぁーと
改めて思うできごとでした。